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37才と言う若さでこの世を去った「イズラエル」ことBraddah IZ。(※ハワイの英語の訛りをそのまま綴ったこの呼び名が彼にはふさわしい、ブラダーイズと呼んで下さい)
このページでは彼の生い立ちと歴史を紹介していきます。

初期マカハサンズメンバー画像

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結成当時の「マカハ・サンズ・オブ・ニイハウ」と思われるメンバーの写真。
イズがソロになった時にサポートバンドのメンバーとしてメル・アミナがギターを担当しています。

新生マカハモノクロ画像
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新生マカハ・サンズ。「マカハ・バッシュ」のコンサートが始まったころと思われる。スキッピーが亡くなってイズがリードボーカルとして活躍しました。
歴史的和解の画像
photo_03  歴史的和解の瞬間。
イズの葬儀画像
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葬儀の模様。弔問の長蛇の列が人気の高さを物語っています。
祭壇画像
photo_05  祭壇の様子。
サブタイトル画像

イズは1959年5月20日、ホノルル、カイムキ地区の音楽家族という恵まれた家系に生まれました。 家族が集まると即席のジャム・セッションがよく開かれたようです。イズの叔父は、モエ・ケアレ。ハワイでは有名なミュージシャンです。
イズが10才の時、家族はマカハ(オアフ西部)に引っ越します。そして、その地で彼の初めての転機が訪れます。
15才の時、いつものようにマカハビーチでウクレレを弾いていたイズを、ジェリー・ココが見つけます。ジェリー・ココはイズを彼の家に招待します。そこで、ムーン・カウアカヒとジョン・ココに会うのです。
イズはその時、彼の兄(スキッピー)と従兄弟(メル・アミナ)を紹介します。1976年、イズが17才の時に「マカハ・サンズ・オブ・ニイハウ」が結成されました。最初のメンバーは、スキッピー、ムーン、メル・アミナ、サム・グレイ。そして、イズでした。
そして、彼らはあっという間に有名になっていったのでした。
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イズの実兄である、スキッパー(スキッピー?)は「※注ハワイ主権復興運動」に意欲的にとりくんでいました。
※この話は池澤夏樹著/ハワイイ紀行に詳しいコトが記されてます。興味がある方はそちらも合わせてどうぞ。
ハワイをアメリカの州ではなく、ハワイ人の自治体にしようとしていたのです。誰もが「実現不可能の夢物語」と思っていました。もちろん、イズもそうだったのです。兄の言う夢物語にはまったく関心をよせていませんでした。
イズに転機が訪れます。それは兄スキッピーの死でした。心臓発作による突然の死でした。それ以来、イズは兄の意思である「ハワイ復権」を訴え続けます。しかしそれは強制や押しつけではなく自分のライフスタイルや、日常会話でもなるべく英語を使わず積極的にハワイイ語を話したり、コンサートのパフォーマンスや選曲によって支援していくというミュージシャンならではの啓蒙活動でした 。

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スキッピーの死後、バンドは新たにメンバーを再構成して生まれ変わります。新生マカハ・サンズ・オブ・ニイハウは好調でした。グループは10枚ものアルバムを出し、多くの賞を獲得します。
マカハ・バッシュというコンサートもはじまります。このコンサートは今や毎年行われており、ハワイの名物になっています。

人気絶頂の頃に、イズはバンドからの独立(ソロとして)を決心をします。 イズの独立には様々な原因があると言われてますが、いずれにせよ彼と他のメンバーとの間がうまくいかなかったことはたしかでしょう。
独立したイズは 1989年初のソロアルバム「Ka 'Ano'i」 をだします。そして、1993年には「Facing Future」を、1995年には「E Ala E」、1996年には「N Dis Life」をリリース、1997年度の「最も好かれたエンターティナー賞」を受賞するほどの人気者となっていました。
この間、マカハの側からは「いつでも戻ってくれば歓迎する!」という投げかけをしていたのですが、ファミリーであっただけにイズとしては答えにくかったかも知れません。1996年の「ナ・ホク・ハノハノ・アウォード(ハワイのグラミー大賞にあたる
」の式典に於いてあの有名な「歴史的和解」がありました。ソロ歌手として出演したイズは、たった一曲ときめられている歌として彼の義兄ムーンの作った「カレオハノ」を歌いはじめたところ、マカハ・サンズの3人が舞台にのぼってきて、イズを囲むようにして一緒に歌うというハプニングが起こったのです。会場は総立ちとなり、歌い終わって抱き合う彼らに惜しみない拍手が続きました。photo_03

1997年6月26日。
ハワイ中の人々は耳を疑いました。イズの死亡を伝える記事がでたのです。死因は心臓病でした。
葬儀は州葬で行われ二万人以上が弔問に訪れ、彼の早すぎる死を悼んだのです。遺骨は一説によると海に散骨されたようです。
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残念なことに、イズの死によりマカハとの再演は実現しませんでしたが、「向こう側」へ行ったイズはスキッピーと一緒になり、マカハ・サンズの活躍に拍手をおくっているかも知れません。 IZと書く彼の愛称「イズ」は現在を表す動詞のISと発音が同じため、「彼はいつまでも過去(WAS)の人ではなく現在の人であり続ける」というフレーズが新聞や雑誌の記事によく登場していたようです。

※このページの文章は「HP:ハワイ情報センター>ミュージシャン」「HP:日本ウクレレ協会>お勧めコーナー」にあるイズに関するテキストと自分が調べて解る範囲の情報をミックスして読みやすく再構成したものです。

●ハワイ情報センター:http://hawaiijoho.net/
●日本ウクレレ協会:http://www.ne.jp/

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